大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所 平成3年(ワ)2035号 判決 1992年8月12日

原告

破産者米塚誠破産管財人

村上公一

被告

株式会社兵庫銀行

右代表者代表取締役

山田實

右訴訟代理人弁護士

大塚明

主文

一  被告は原告に対し、金二四万二一〇三円及びこれに対する平成三年九月二六日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする

事実及び理由

第一原告の請求

主文と同旨

第二事案の概要

本件は、破産管財人である原告が被告銀行に対し、被告銀行が行った本件預金との相殺は破産法一〇四条二号本文により禁止されている等と主張して、破産者が被告銀行に預金していた本件預金の支払を請求した事案である。

一争いのない事実

1  破産者米塚誠(以下「破産者」という。)は、平成三年五月二〇日神戸地方裁判所に自己破産の申立をし、同年七月二日午前一〇時同裁判所において破産宣告を受け、原告がその破産管財人に選任された。破産者は被告銀行神戸駅前支店に、普通預金口座(口座番号一五二二四五番、以下「本件預金口座」という。)を有していた。

2  破産者は株式会社ビィガァ(以下「ビィガァ」という。)の代表取締役であったところ、ビィガァは、平成三年五月一五日・一七日に第一回・第二回目の不渡手形を出し、同月二〇日神戸地方裁判所に自己破産の申立をして、同年七月三日午前一〇時神戸地方裁判所において破産宣告を受けた。ビィガァは被告との間に銀行取引があった。

3  東京海上火災保険株式会社が、破産者が加入していた火災保険の解約返戻金二八万一六七〇円を、平成三年五月一六日本件預金口座に振込入金したので、本件預金口座の預金残高は二八万一六八〇円となった。その後、本件預金口座は、若干の自動引き落としがなされたため、残高が二四万二一〇三円(以下「本件預金」という。)となった。

4  被告は破産者に対し、平成三年六月二六日付内容証明郵便により、被告の破産者に対する昭和五八年九月一二日当座貸越枠設定による貸付金残高の内金二四万二一〇三円を自働債権とし、破産者の被告に対する本件預金払戻請求権二四万二一〇三円を反対債権として、対当額で相殺する旨の意思表示をした(以下右相殺を「本件相殺」という)。

5  原告が平成三年九月二五日、被告に対し本件預金の支払を請求したが、被告は本件相殺を理由にこれを拒否した。

二当事者の主張

1  破産法一〇四条二号本文の適用

(一) 原告の主張

(1) 破産者は、平成三年五月一六日ビィガァの営業所を閉鎖し、「ビィガァが倒産したので、弁護士に依頼して破産申立の手続を行う」旨の貼り紙を、営業所の玄関に大きく掲示した。

(2) ビィガァの営業所は、被告銀行神戸駅前支店から約五〇メートルの距離にあり、被告銀行神戸駅前支店の行員は、平成三年五月一六日早朝ビィガァ営業所に掲示された貼り紙を発見して、破産者が支払を停止したことを知った。

(3) 被告が右破産者の支払停止を知った後、同じ平成三年五月一六日に、東京海上から本件預金口座に、破産者の保険解約返戻金二八万一六七〇円が振り込まれたのであり、被告は、破産者の支払停止を知った後、破産者に対し債務を負担したのであるから、破産法一〇四条二号本文により、本件相殺は許されない。

(二) 被告の反論

(1) 被告は、平成三年五月一六日にビィガァの営業所に貼られていた貼り紙を見て、ビィガァの支払停止を知ったが、右時点では未だ破産者個人の支払停止の事実は認識していない。

(2) 即ち、被告が破産者の支払停止の事実を知ったのは、破産申立代理人である小倉勲弁護士の平成三年六月一〇日付書簡によってであり、それまでは破産者個人の支払停止の事実は知らなかった。

(3) 従って、被告は、破産者に対し債務を負担した後、破産者の支払停止の事実を知ったのであるから、本件については破産法一〇四条二号本文の適用の余地はなく、本件相殺は有効なものである。

2  破産法一〇四条二号本文の類推(その1)――支払不能

(一) 原告の主張

(1) 破産債権者が破産者の「支払不能」を知って債務を負担した場合にも、破産法一〇四条二号本文により相殺が禁止されるべきである。

(2) 被告は、ビィガァ及び破産者個人双方と予信取引があり、取引開始に当たって会社と個人の信用調査を行い、その後も常にビィガァ及び破産者の資産状態を正確に把握していた。

(3) 従って、被告は、平成三年五月一六日ビィガァ倒産の貼り紙を見た時点で、ビィガァの支払停止を知ると共に、破産者の支払不能の事実も認識した。

(二) 被告の反論

(1) 破産法一〇四条二号は、最高裁昭和四一年四月八日判決を契機として、昭和四二年法律第八八号により追加されたものであり、右最高裁判決を前提として、これを立法上必要な限度で修正したに過ぎず、この二号を更に拡張類推することは許されない。

(2) 即ち、破産法一〇四条二号は、破産債権者が「支払の停止」を知って債務を負担した場合に、相殺を禁止しており、相殺禁止は外形的に明らかな事実に則して定められるべきであって、明文の「支払停止」を「債務超過」の場合にも拡張類推することは許されない。

3  破産法一〇四条二号本文の類推(その2)――法人格否認

(一) 原告の主張

(1) ビィガァは、登記簿上の役員は親族ばかりであり、株主総会も取締役会も開催されずに、破産者の一存により運営される零細な個人会社であって、会社の資金繰りについても、破産者やその家族の預貯金を投入したり、それらの者の名義で融資を受けた資金を投入していた。

(2) 法人格否認の法理は、法人格が形骸に過ぎない場合、及び法人格を濫用している場合において、特定の法律関係において会社の独立性を否認し、会社とその代表者とを同視する法理である。ビィガァは会社の社団性・独立性が希薄であり、その経済活動は破産者個人の経済活動と同視でき、被告としても取引銀行としての立場上、そのような会社経営の実情を把握していた。

(3) 従って、本件では、法人格否認の法理を適用し、ビィガァの支払停止と破産者の支払停止を同視できるので、破産法一〇四条二号本文が適用又は類推適用され、本件相殺は許されない。

(二) 被告の反論

(1) 破産法一〇四条二号には法人格否認の法理の適用がない。破産法一〇四条は、相殺自由の原則を認めた上での制限的禁止であり、限定列挙である。それを法人格否認の法理によって拡張しようとするのは、その根本的な構造に反する。

(2) そもそも、法人格否認の法理は、法人格が全く形骸に過ぎない場合、又はそれが法律の適用を回避するために濫用される場合に、法人格を否認すべきことが要請されることから生じるのである。ところが、本件では、法人格が全く形骸に過ぎないとは到底いえず、かつ法人格が法律適用を回避するために濫用された場合でもない。

(3) 本件については、法人格否認の法理が適用される余地はない。

4  相殺権の濫用

(一) 原告の主張

(1) 被告は、ビィガァの倒産と同時に破産者個人の支払不能を認識し、ビィガァ及び破産者の預金口座から出金がなされると、債権回収の引当がなくなることから、ビィガァ及び破産者の預金を拘束した。

(2) そうすると、被告にとっては、その後の本件預金口座への入金は、全く望外の入金であって、債権回収の引当として何ら期待していなかったし、期待し得なかったところである。結局、被告は相殺の正当な期待を有していなかったのであるから、本件相殺は相殺権の濫用として無効である。

(3) 相殺権濫用の法理も、信義則又は権利濫用の法理を具体化したものであり、法令を形式的に解釈し適用するときは実情に沿わず、不都合な結果をもたらす事案につき、妥当な解決をもたらすために提唱された法理であって、本件が正にその適例である。

(二) 被告の反論

(1) 相殺権の濫用といわれるのは、いわゆる狙い打ち相殺等といわれるものであり、金融機関等が他により簡明な相殺反対債権があるにも拘わらず、専ら第三者を害する目的で行う相殺に関するものである。

(2) 本件は、このような従来の相殺権濫用事例とは全く異にするものであり、かかる法理の適用の余地はない。

三争点

本件預金債権は本件相殺により消滅したか否か、換言すれば、本件相殺は、破産法一〇四条二号本文の適用又は類推適用、あるいは相殺権の濫用等の法理により、禁止されているものであるか否か。

第三争点に対する判断

一認定事実

1  ビィガァの倒産、破産者の支払不能、ビィガァの実体等

証拠(<書証番号略>)、及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

(一) 破産者は、昭和六二年五月休眠会社を譲り受けてその代表取締役に就任し、同社の商号を株式会社ビィガァと変更した上、婦人服の製造販売を始めた。ビィガァは、当初は順調に売上を伸ばしていたが、平成元年秋頃従業員の不正行為により経営状況が悪化し、更に平成二年一月から六月にかけて大口取引先が倒産して資金繰りが悪化し、主取引銀行である被告もビィガァに対する融資に消極的となったため、高利の貸金業者から資金を調達するようになり、平成三年五月一五日約六億円の負債を抱え手形不渡りを出して倒産した。

(二) 破産者は、平成元年秋頃ビィガァの資金繰りが悪化するや、窮状を凌ぐために、自己や家族の預金や生命保険等をすべて解約して、ビィガァに注ぎ込み、それでも資金が足りないために、自己や家族名義で金融機関から融資を受け、これをビィガァに投入していた。このようにして生じた破産者の個人債務に加えて、破産者はビィガァの債務の多くにつき連帯保証人となっていたため、他に収入がなくこれといった個人資産もない破産者は、平成三年五月一五日ビィガァの倒産に伴い、当然破産者個人としても支払が不能となった。

(三) ビィガァの倒産時点での役員・株主構成、従業員・売上高は次のとおりであり、ビィガァは、会社とはいっても役員すべてが破産者の親族等であって、株主総会も取締役会も開催せずに、社長である破産者の一存で経営されてきた資本金六〇〇万円の零細な個人会社であった。

(1) ビィガァの役員は、代表取締役が米塚誠(破産者本人)、取締役が米塚須惠子(破産者の妻)、同石田宏(破産者の友人、名義だけで経営には一切関与せず)、監査役小西栄子(破産者の妻の姉でビィガァの従業員)であった。

(2) ビィガァの発行済株式総数は一万二〇〇〇株であり、うち破産者が四六〇〇株、破産者の妻が三四〇〇株、破産者の長男が一三〇〇株、ビィガァの従業員五名が合計二七〇〇株を所有していた。

(3) ビィガァの従業員は一三名(うちパート三名)であり、倒産直前の三か月間の月間売上高は二〇〇〇万円ないし三〇〇〇万円であった。

2  被告とビィガァ・破産者との銀行取引状況等

証拠(<書証番号略>)、及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

(一) 破産者は昭和四八年四月一六日以来、被告銀行神戸駅前支店で本件預金口座を開設していた。ビィガァは昭和六二年九月一日被告(神戸駅前支店扱い)に銀行取引約定書を差し入れ、破産者は同日被告に対し、ビィガァが被告との銀行取引により負担する一切の債務について、連帯保証する旨を約した。そして、ビィガァは、被告銀行神戸駅前支店を主取引銀行として、銀行取引を継続してきた。

(二) 被告銀行神戸駅前支店の担当者は、昭和六二年九月一日ビィガァと銀行取引を開始するに当たり、ビィガァと破産者個人の信用調査を行い、両者の資産状態を正確に把握し、ビィガァと銀行取引継続中も常に破産者と面談し、ビィガァとの銀行取引に関して破産者と折衝して、ビィガァの主取引銀行としての立場上、ビィガァ及び破産者の資産状態を認識していた。そのため、被告は、平成二年一月から六月にかけてビィガァの大口取引先が倒産し、ビィガァの資金繰りが悪化した時点で、直ちにビィガァの異変に気付くことができ、ビィガァの与信枠を急激に減少させた。

(三) 被告は、ビィガァが第一回目の不渡手形を出して倒産した平成三年五月一五日当時、ビィガァ及び破産者との与信取引は次の通りであり、(4)については信用保証会社の保証付であるため、回収には不安がなかった。

(1) 主たる債務者ビィガァ、保証人破産者

昭和六三年八月二二日貸付金三〇〇〇万円

貸付残高二四七八万一九四八円

(2) 主たる債務者ビィガァ、保証人破産者

昭和六三年一一月三〇日貸付金二八五〇万五〇〇〇円

貸付残高二八五〇万五〇〇〇円

(3) 主たる債務者破産者

昭和五八年九月一二日当座貸越枠設定

貸付限度額三〇万円

貸付残高二九万九五四〇円

(4) 主たる債務者破産者

平成元年二月二〇日貸付金四五〇万円

貸付残高三三七万六七九八円

3  出金停止措置、解約返戻金の入金、本件相殺の実行等

証拠(<書証番号略>)、及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

(一) 破産者は、平成三年五月一六日ビィガァの営業所を閉鎖し、「ビィガァが倒産したので、弁護士に依頼して破産申立の手続をおこなう。」旨の貼り紙を、営業所の玄関に大きく掲示した。ビィガァの営業所は、被告銀行神戸駅前支店から約五〇メートルの距離にあり、被告銀行神戸駅前支店の営業担当副長の茶円重信が、同日午前九時前頃通りすがりにビィガァ営業所に掲示された貼り紙を見て、ビィガァの支払停止の事実を知った。

(二) ビィガァの支払停止により、ビィガァは銀行取引約定書五条一項に基づき、当然に期限の利益を喪失した。そのため、被告は、直ちに同日午前九時過ぎ、ビィガァの全預金の出金停止措置を取ると共に、ビィガァの連帯保証人である被告の本件預金の出金停止措置を取って、相殺準備を進めた。すると、同日午前九時過ぎから午前一一時三〇分までの間に、東京海上から、破産者の火災保険の解約返戻金二八万一六七〇円が、本件預金口座に振込入金された。

(三) 破産者の妻の姉である小西栄子が、破産者の妻から依頼されて、同日午前一一時三〇分頃、本件預金口座のキャッシュカードを持って被告銀行上湊川支店に赴き、同支店に備えつけてある預金自動払出機に右キャッシュカードを挿入して、本件預金口座から前記保険の解約返戻金の払出を試みたが、被告が既に出金停止措置を取っていたため、右払出を受けることができなかった。その後、本件預金口座では若干の自動引き落としがなされたため、残高が二四万二一〇三円となっていたところ、被告は平成三年六月二六日付内容証明により破産者に対し、本件預金二四万二一〇三円について本件相殺を実行した。

二考察

1 破産法一〇四条二号本文は、破産債権者が支払の停止又は破産の申立があったことを知って破産者に対し負担した債務についてのみ、相殺を禁止しており、支払不能になっていることを知って負担した債務については、言及していない。しかし、支払不能は、債務者の客観的な財産状態を示すものであり、債務者の弁済能力の継続的な欠缺により一般債務を順調に弁済できない客観的状況であって、必ずしも外部から探知できるものではないが、たまたま債権者が何らかの事情でこれを知ることができた場合には、支払停止を知っていた場合よりも、債務者が破産に至ることを確実に把握できる(破産法一二六条二項参照)のであるから、支払停止の場合以上に債権者の抜け駆け的な利得行為を禁止する必要がある。従って、破産債権者が支払不能となっていることを知って破産者に対し負担した債務についても、破産法一〇四条二号本文の類推適用を認め、相殺が禁止されると解するのが相当である。

2 これを本件について見るに、被告銀行神戸駅前支店の担当者は、昭和六二年九月一日ビィガァと銀行取引を開始するに当たり、ビィガァと破産者双方の信用調査を行い、その後四年八か月にわたりビィガァの主取引銀行として銀行取引を継続し、その間常に破産者と接触してビィガァ及び破産者双方の信用状態の把握に努め、ビィガァは破産者が経営している零細な個人会社であり、破産者がビィガァの多くの債務に対して連帯保証しているのに、破産者には他に収入がなく、これといった個人資産もない実情を認識していたのであるから、被告の担当者は、平成三年五月一六日の早朝、ビィガァの営業所でビィガァ倒産の貼り紙を見た時点で、破産者もビィガァの連帯保証債務を履行できず、支払不能に陥った事実を認識したことが認められる。

3 そうだとすると、被告が破産者の支払不能の事実を知った後に、本件預金口座に保険解約返戻金が振り込まれ、被告が破産者に対しその払戻債務を負担するに至ったのであり、本件相殺は、破産債権者である被告が、破産者の支払不能の事実を知って破産者に対し負担した債務を反対債権とするものであるから、破産法一〇四条二号本文の類推適用により禁止されているものである。

第四結論

一以上の次第で、被告が行った本件相殺は無効であり、被告は原告に対し、本件預金二四万二一〇三円、及びこれに対する平成三年九月二六日(支払請求の日の翌日)から完済まで、商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払義務を免れない。

二よって、原告の本訴請求は理由があるから認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用し、仮執行宣言は相当でないので付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官紙浦健二)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例